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球体の呪縛からの解放

旦那のblogにも書いておりましたが先週はあるお世話になっている方のお手伝いで陶磁資料館で只今開催中の現代陶芸展と同時開催の土人形展「ほほえみのかたち」の搬入に通っておりました。約3千体の土人形コレクションを箱から出したり並べたりのひたすら地味な作業…単純作業というものは人にいろんなことを考えさせるものです。

一言に「土人形」と言っても100年以上の時を経たものから比較的近代のものまで日本全国の風習・風土・時代背景など様々な情報が練り込まれている現代に例えるならば量産物(もちろん作家物もあります)の御当地フィギュアのようなもので日本人の生活のごく身近にあったものなのですが、そのほとんどが時代と共に没していく中で、こうして今、たまたま生き残り受け継がれていくものを一つ一つ手にとって眺めると、この漲る生命力はなんだろう??と思うわけです。
シンプルに集約された造形に勢いのある面相。
制作当時は東北の農作業の冬の内職で流れ作業的に作られたものだってあったはず、縁起物だから年末の繁忙期には年寄りから子供まで筆を握って見よう見まねで描いた面相(と思しき絵付けも多数…)だったりするだろうに、時を経て様々な人の手を巡るうちに益々重厚になる存在感。
長く愛され続ける秘密…
自分の人形に照らし合わせ、自分に足りない何かがそこにはあるのです。

なんて考えを巡らせていたのは作業前半で、日を追う事にそんな余裕もなくなり、ただひたすら搬入作業に没頭し、終いには疲れ切って思考すら停止してしまうに至るのですが…
そんな苦行も過ぎ去り、さて、3ヶ月ぶりに作業台に向かっても…ちっとも手が動かない…人形を作る意味さえわからなくなるほど憔悴し混乱に陥ってしまったのです。
「私の作っている人形ってなんだろう??何か意味があんのかな?」
そんな自問自答の無間地獄に迷い込んでいた矢先にお人形を店頭に置いて下さる話しを頂き、私の人形もわずかながら日の目を見る機会を得て、まだ望みは捨てちゃいけないわ!と、たちまち気分一新!
そうか、人形って、もっと単純に人の手を渡るコミュニケーション手段なんだ!と、原点に立ち返って机に向かうと、なんだか顔が無性に作りたくなり、ボコボコと生まれてくる形や表情を楽しみながら作ってみる。
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すごく楽しい!
その勢いのまま、次々イメージが沸いてくる顔をまずひとつ選んで、沸いて来るままに体を作ってみる。
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どうやら人間ではないらしい…
途中、球体を入れるか悩みに悩んだ挙げ句…この勢いを失いたくないので勢いのまま作ってみることにする。この選択が大きかった。
今までの人形制作が「人形」という言葉を解体し再構築する英語で例えるならば文法(グラマー?)を重視した制作なら、この勢いのまま制作するというのは感情をそのまま形にする…生きた英会話に近い感覚だ。
今まで「球体」を得ることで固定ポーズから「自由」を得たはずの人形だったが、いつのまにか球体関節という形式に囚われはじめ身動き取れなくなっていたみたいだ。そして家事や雑務に逃げたりして、自由に躍動的な人形を生み出す旦那をただただ羨ましく思っていたのだけど、人形は広義で自由なもの…今までの狭量な人形美学をちょっとお休みして勢いに任せて人形を作ってみよう…そうすることで、身体のしなやかさや言葉を持った人形を作ることが出来るかもしれない…そんなこんなで、作業を始めると瞬く間に時は過ぎていくのでした…。
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さて、どんな人形になるか…大いなる失敗に終わるか…

いろんな出会いやたまたまの経験…その全てが無駄じゃないものなんですねぇ、歳を重ねるのも悪いことじゃない…そう思えるようになってきたかな…
by tosakanekosha | 2008-03-02 02:25 | 人形制作雑記